東京地方裁判所 昭和61年(ワ)8985号 判決 1987年8月27日
原告 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 下井善廣
同 佐藤敦史
右訴訟復代理人弁護士 井手大作
被告 伊藤文彦
<ほか二名>
右被告ら三名訴訟代理人弁護士 井田邦弘
同 中野允夫
主文
原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告伊藤文彦(以下、被告文彦という。)、同伊藤比呂子(以下、被告比呂子という。)は原告に対し、別紙物件目録記載二の建物(以下、本件建物という。)を収去して同目録記載一の土地(以下、本件土地という。)を明渡し、かつ、昭和六一年八月二日から右明渡済みに至るまで一か月金一三万六七九〇円の割合による金員を支払え。
2 被告株式会社イトシン(以下、被告会社という。)は原告に対し、本件建物から退去して本件土地を明渡せ。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は本件土地を所有している。
2 被告文彦、同比呂子(以下、被告伊藤らという。)は本件土地上に本件建物を所有し(持分各二分の一の共有)、被告会社は本件建物を占有しており、それぞれ本件土地を占有している。
3 本件土地の賃料相当額は一か月一三万六七九〇円(坪当り一三〇〇円)であるから、被告伊藤らの本件土地の占有により原告は右賃料相当の損害を被っている。
4 よって、原告は本件土地の所有権に基づいて被告らに対して次のとおり請求する。
(一) 被告伊藤らに対しては、本件建物を収去して本件土地を明渡すこと及び訴状送達の翌日から右明渡済みに至るまで一か月一三万六七九〇円の割合による賃料相当損害金を支払うこと。
(二) 被告会社に対しては、本件建物から退去して本件土地を明渡すこと。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1、2項は認める。
2 同3項の賃料相当額は争う。
三 抗弁
1 訴外大岩興業株式会社は、昭和五四年五月一九日、本件土地を当時の所有者である訴外山村久美子から堅固建物所有の目的で、期間三〇年の約で賃借し、本件土地上に本件建物を所有していた。
2 その後原告は右山村から本件土地の所有権を取得し、本件土地の賃貸人の地位を承継した。
3 被告伊藤らは東京地方裁判所昭和五九年(ケ)第三九八号不動産競売事件において本件建物(本件土地についての賃借権を含む。)を七五〇〇万円で競落し、昭和六〇年一二月一一日その所有権を取得した。
4 被告伊藤らは、本件土地についての賃借権を大岩興業株式会社から譲受けたことについて原告の承諾を得た。
すなわち、被告文彦は、本件建物の所有権移転登記手続が終了した直後の昭和六〇年一二月下旬、原告に挨拶かたがた電話したところ、原告から年末で忙しいので年が明けてから話し合いたいと言われた。
そこで被告文彦は、昭和六一年一月一〇日過ぎに原告宅を訪れ、原告の夫甲野太郎(原告の代理人)に対し、賃借権の譲受けについての承諾を求めたところ、同人はこれを承諾し(少なくとも名義書換に応じないとは言わなかった。)、ただ名義書換料をいくらにするかは、知人の不動産鑑定士に鑑定してもらい、その結果が出てから話し合いたいのでそれまで待ってもらいたいということであった。そこで被告文彦はこれを了承して原告宅を辞した。なお、原告本人もこの時在宅し、右の話合いを了承している。
仮に明示の承諾がなかったとしても、黙示の承諾があったものである。すなわち、右のような経緯で賃貸を前提に鑑定をすることにし、その鑑定書中には借地権者として被告伊藤らが明記されていること、その後、原告と被告伊藤らとの間で名義書換料と賃料額についてのみ交渉が重ねられたこと、甲野太郎は右交渉の間一度も右承諾を拒否するという態度を示したことはなく、円満に金額で折合いをつけようという気持であったのであり、鑑定の結果が出なければ承諾するかどうか返事ができないということを言ったこともないこと等の事実からして、黙示の承諾があったことは明らかである。
5 仮に右の承諾の事実が認められないとしても、以下の事実によれば、賃借権の譲渡について承諾がないことを理由とする本件土地の明渡の請求は、信義に反し権利の濫用であって、許されない。
(一) 被告文彦が昭和六一年一月一〇日過ぎに賃借権の譲受けについての承諾を求めるために原告宅を訪れ、原告の代理人である甲野太郎に対し右の承諾を求めたところ、同人及び同席していた原告はこれに反対ないし難色を示すような態度は全く示さなかった上に、至極円満な口調で被告文彦に対し「名義書換料をいくらにするかは知人の不動産鑑定士に鑑定してもらい、その鑑定結果が出てから話し合いたいので、それまで待ってもらいたい。ついてはお互いに隣同士の問題でもあるので、代理人を入れずに当事者間で話合いで解決しましよう。」と述べた。
(二) 被告文彦は、前記競売事件の不動産評価書が名義書換料として八九三万円を控除した額で本件建物を評価していたので、この金額を原告に支払えば良いのではないかと思っていた。
しかし、被告文彦は、甲野太郎から隣同士なので円満に話合いで解決したいと言われたこともあって、両者間に角が立つのは好ましくないと考えた。また、被告文彦は、本件建物の競落手続について本件訴訟の被告ら代理人と相談しており、原告が賃借権の譲渡を承諾しないときは右代理人に委任して借地法九条の三第一項所定の賃借権譲渡許可の申立をするつもりでいたが、本件訴訟の原告代理人を代理人として右競落手続に参加した原告から、あえて隣同士なので代理人を入れずに当事者間で話合いで解決したいと言われたことから、原告とは円満に話合いで解決でき、またそうするに越したことはないと考え、右の甲野太郎の申入れを了承し、借地非訟の申立を差し控えて、原告から名義書換料についての鑑定結果及び話合いをする日時・場所についての連絡があるのを待つことにした。
(三) その後、被告伊藤らは、借地法九条の三第三項所定の競落代金を支払った日から二か月以内である昭和六一年二月初旬、原告方に「鑑定書はできたか。地代の支払もあるのでよろしく。」と申し入れたところ、原告は「心配せずにもうしばらく待つように。」と言った。
このようなことから、被告伊藤らは借地非訟の申立をすることにより賃貸借関係の基礎である信頼関係を損いたくないと考え、まして原告と被告伊藤らは隣人同士であるので、お互いの信義を重んじてその申立を差控えたのであって、それは人道に合する自然な行為である。被告伊藤らとして借地非訟の申立をすることはいとたやすいことではあったが、原告と永く信頼関係を保持し、友好的関係を維持しようとすれば、その申立を躊躇せざるをえなかったのである。
要するに、原告は被告伊藤らとの交渉を通じ、賃借権譲渡の承諾を拒否するような態度は全く示さず、至極円満な口調で「不動産鑑定士に鑑定してもらってその上で話し合いたいので、それまで待ってもらいたい。ついてはお互い隣同士なので代理人を入れずに当事者間で話合いで解決したい。」と言うので、被告伊藤らは原告と円満に話合いで解決できるものと信じ、これに同意して鑑定結果を待つことにした。そして、借地非訟申立期限の直前に原告に右の結果を問い合せたところ、原告からもう少し待つように言われ、鑑定結果を踏まえて後日原告と円満に話合いで解決できるものと信じて借地非訟の申立期限を徒過してしまったのである。
(四) 昭和六一年三月初めになって原告から鑑定の結果が出たことを知らされ、被告文彦は直ちに原告方に出向き、その後名義書換料及び賃料についての交渉を重ねた。
右鑑定は、名義書換料は一四四七万円、賃料は月額一一万〇四九〇円が相当であるとしていたが、右の交渉の過程において原告はこれを上回る、名義書換料一五〇〇万円、賃料一二万円を要求し、その後には名義書換料一六五〇万円、賃料一三万六七九〇円を要求するなどした。更に原告は、名義書換料と本件建物の増築承諾料の合計額として三〇〇〇万円を要求するなどして、結局合意に至らなかった。
しかし、その間原告には、賃借権の譲渡を承諾しないなどという言動は全くなかった。
(五) ところで、原告は被告伊藤らに対し、昭和六一年一月分以降の賃料は右の交渉による合意が成立した時点で受領すると述べて予めその受領を拒否していた。そこで被告伊藤らは右の賃料を供託すると合意の成立を阻害しかねないと考え、賃料の弁済供託をしないでいた。
しかし、本件土地の賃貸借契約には、賃料の支払を一回でも怠ったときは無催告で解除ができる旨の特約があるので、被告伊藤らは昭和六一年五月一七日、同年一月一日から四月末日まで一か月一一万〇四九〇円(鑑定による賃料額である。従前の賃料は九万三三四〇円であった。)の割合による賃料の提供をしたが、原告はその受領を拒否した。そこで被告伊藤らはこれを弁済供託した。
(六) 以上のようにして借地法九条の三の申立期間を徒過させ、その後も円満に交渉を重ねてきた原告が、突如本件土地の明渡を求めることは、信義誠実の原則にもとり、権利の濫用であり、とうてい許されない。
6 被告会社は被告伊藤らから本件建物を賃借している。
四 抗弁に対する答弁
1 抗弁1項ないし3項は認める。但し、被告伊藤らの競落価額は知らない。
2 同4項は否認する。
被告文彦が昭和六〇年一二月下旬に原告に電話した事実はなく、被告文彦が原告宅を訪れたのは昭和六一年一月一〇日過ぎではなく同月下旬であって、その時の会話の内容も被告らの主張とは異なる。原告は、専門家に賃借権譲渡の承諾料、賃料について鑑定してもらって資料を用意してみなくては譲渡を承諾するかどうか返答のしようがない旨回答したものである(原告は、承諾料、地代について満足できる額で合意できるならば承諾しても良いという前提で交渉をしているにすぎず、条件がどのようになろうが譲渡について承諾をするつもりであったというのではない。)。また、代理人を入れないで話し合いましょうなどとは一切述べていない。
3 同5項は争う。
(一) 抗弁5項(一)の被告文彦が昭和六一年一月一〇日過ぎに原告方を訪ねたこと及び原告が発言したという内容については否認する。
(二) 同項(二)のうち、原告が代理人を入れずに当事者間で話し合い解決したいと発言したとの事実は否認し、その余は知らない。
(三) 同項(三)は否認する。
被告伊藤らは、期限内に借地非訟の申立をひとまずしておいて、話合いを拒否するものではなく、申立の権利だけを確保したものであると原告に説明すれば良かったはずである。
被告伊藤らは借地非訟の申立をしようとすればいつでもできたにもかかわらず、被告文彦が何の根拠のないままいずれ話がつくだろうと安易に考えて、右申立をしなかったにすぎないのである。原告は右申立をすることを妨げるような行為は一切していない。
(四) 同項(四)のうち、原告と被告伊藤らとの間で交渉がされたが、合意に至らなかったこと、原告が名義書換料一六五〇万円、地代一二万六二七六円を提案したことは認める。その余は否認する。なお、鑑定の結果が出たことを知らせたのは三月初めではなく二月である。
原告は、名義書換料について、一六五〇万円から譲歩して一六〇〇万円、更に一五〇〇万円を提案した。被告伊藤らは競売事件の際の評価書に記載のある九〇〇万円弱に最後まで固執して譲歩せず、増改築の許可も含めれば一二〇〇万円支払っても良い旨提案した。
(五) 同項(五)のうち、原告が賃料の受領を拒否したこと及び供託の事実は認めるが、被告伊藤らが賃料の提供をしたことは否認する(五月一七日頃被告文彦が原告方を訪れ、突然地代を支払いたいと述べたが、原告がこれを拒否したことは認める。)。
(六) 同項(六)は争う。
原告と被告伊藤らとの賃借権譲渡を承諾する場合の条件についての交渉は昭和六一年五月末に決裂したが、その理由は、双方の要求が折り合わなかったこともあるが、交渉の途中で被告伊藤らが一方的に賃料額を定めてその賃料を供託してきたため、原告が被告伊藤らの行動に不信感を抱き、譲渡を承諾しない旨の最終結論を出したからである。
原告は被告伊藤らが借地法九条の三による譲渡許可の申立をすることを引止めたり、右申立期限を徒過させようとしたことは一切ない。そもそも原告は右申立の期間が二か月であるということも知らなかったし、被告伊藤らが本件建物の所有権をいつ取得したかも知らなかったのである。また、原告は当初から鑑定の結果をたたき台にする旨被告伊藤らに伝えてあり、鑑定に時間のかかることも述べてある。この点に関し原告が時間の引延しなどを図った事実はない。
一方被告伊藤らは当初から弁護士とも相談しており、前記申立について期間的制約があること、賃借権譲渡の承諾が極めて重大な問題であることを充分承知していたのであるから、いつでも適切な対応ができたはずである。また被告伊藤らは原告と特別親しい関係にはなく、任意の話合いにより譲渡についての承諾を得られるような事情は全くなかったし、原告から鑑定による金額をたたき台にする旨聞いており、かつ、鑑定にかなり時間のかかることも分かっていたのであるから、両者の交渉が容易かつ迅速にまとまるとは考えられない状況にあったのである。
以上のとおり、借地非訟の申立の制限である昭和六一年二月初旬までの原告と被告伊藤らの双方の事情を検討してみれば、被告伊藤らが右申立をしなかったことにつき、原告が責任を負わなければならないような事情は全くない。被告伊藤らが、右申立の手続を懈怠しておいて、その責任を信義則違反にかこつけて原告に押しつけようとすることは極めて不当である。
万一このまま名義書換料、賃料も支払わないまま被告らが本件土地の占有を継続できるとすれば、極めて不公平な結果となる。
4 同6項は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1、2項の事実及び抗弁1項ないし3項の事実(被告伊藤らの競落価額を除く。)は当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、右の競落価額は七五〇〇万円であったものと認められる。
二 そこで、原告と被告伊藤らとの間の本件土地の賃借権譲渡についての承諾に関する交渉の経緯をみることにするが、《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 昭和六〇年一二月一二日に、本件建物について同月一一日競売による売却を原因として共有者を被告伊藤らとする所有権移転登記がされ、同月二四日に被告伊藤らにその旨の通知があった。
2 そこで被告文彦は同月二五日か二六日頃に原告方に電話して、被告伊藤らが本件建物を競落して所有権移転登記も済んだことを伝え、本件土地の件について相談したいと申し入れたところ、原告は年内は忙しいから年が明けてから話し合うことにしようと返事をした。
その際原告は、隣同士であるから、第三者を入れずに話合いをしようと提案し、被告文彦もこれに賛同した。被告文彦が代表取締役をしている被告会社は、昭和五三年から本件建物を大岩興業株式会社から賃借していたものであり、また、原告とその夫の甲野太郎はもともと本件土地の隣接地に居住しており、昭和五七年に原告が本件土地を買受けていたものであって、被告伊藤らと原告夫婦とは付合いはなかったものの、隣同士という間柄であった。
3 被告文彦は、昭和六一年一月一〇日頃、原告方を訪れ、甲野太郎及び同席していた原告に対し、本件土地の賃借人の名義書換をお願いしたいと申し入れた。これに対して甲野は、名義書換に応ずる意思はないとは述べず、自分の方で知っている不動産鑑定士に名義書換料等の鑑定をさせ、その結果を基礎にして話合いをしたいと提案し、被告文彦もこれを了承した。もっとも、甲野太郎及び原告は、名義書換を承諾すると明示的、確定的に述べた訳ではない。
4 被告文彦は、賃借土地上の建物を競売によって取得した場合に裁判所に賃借権譲渡の許可を求めることができること、その申立には建物の代金を支払った後二か月以内という期間の制限があることは知っていたが(裁判所からも教示があり、また競売手続の段階から本件訴訟の被告ら代理人に委任をしており、同代理人からも説明を受けていた。)、名義書換料等の金額についての合意が成立するであろうと考え、また、話合いで解決しようということになったのに、借地法に基づく右手続をとることは相手方に対する信義に反すると考えたので、右の申立はしなかった。
5 昭和六一年二月末頃、被告文彦は甲野から鑑定書が提出されたことを知らされ、これを借受けて検討をした。この鑑定書では、名義書換料は一四四七万円、月額賃料は一一万〇四九〇円が適正であるとされていた。
その後、被告文彦と甲野との間で、名義書換料及び賃料の金額についての交渉が同年五月までの間に数回行われたが、結局合意には至らなかった。被告文彦は、本件建物について競売事件の評価人の評価書に競落人の名義書換料の負担として八九三万一〇〇〇円という金額が記載されていたので、名義書換料としてはこの金額が妥当であると考えていたが、名義書換料は一二〇〇万円、賃料は鑑定書どおりという提案をし、本件建物の増改築を認めてもらえる場合には一五〇〇万円を支払う旨の提案をした。これに対して原告側は、鑑定書の金額を一割上回る金額を提示し、最終的には名義書換料一六五〇万円、賃料一三万六七九〇円という提案をするとともに、建物の増改築を認める場合には名義書換料を含めて一五〇〇万円の倍額位が相当であろうという返事をした。
6 被告文彦は、名義書換料等についての交渉が長引いているので、賃料だけでも支払った方が良いと考え、昭和六一年五月一七日に同年一月から四月分までの鑑定書の金額(月額一一万〇四九〇円。なお、従前の賃料は月額九万三三四〇円であった。)によって計算した賃料を原告方に持参したが、原告はこれを受領しなかった。そこで被告伊藤らは、同年五月二四日、右一月分から四月分の賃料及び五月分の賃料(一一万〇四九〇円)を供託した。
そして、被告伊藤らは、右同日、原告に対して、賃料等についての協議があまり長くなるので鑑定書の金額に従った昭和六一年一月分以降の賃料を提供し、供託したこと、名義書換料は不動産競売事件の評価額を基準に協議することを希望すること、被告伊藤らは本件の早期かつ円満な解決を切望していること等を内容とする内容証明郵便を送付した。
これに対して原告は、同月二九日、被告伊藤らに対し、被告伊藤らは原告の要求する承諾料を支払わないばかりか、一方的に賃料を決めて供託するという行為に出てきたが、これは事を円満に解決する意思がない現れと見ざるをえないこと、したがって原告は被告伊藤らに今までに提示した条件を全て白紙撤回すること及び賃借権の譲渡については条件いかんにかかわらず承諾しないことを通告すること等を内容とする内容証明郵便を送付した。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
三 右認定の事実によれば、本件土地の賃借権譲渡を承諾する場合の承諾料の金額及び今後の賃料額についての原告と被告伊藤らとの間の交渉は結局合意に至らなかったのであるから、原告が右賃借権の譲渡について承諾を与えたということはできない。賃借権の譲渡を承諾するかどうかは譲受人から賃貸人に支払われる承諾料の金額によって左右されるのであるから、承諾料の金額について合意が成立していない段階で、賃借権の譲渡についての承諾があったとすることはできない。
四 しかし、前記認定の事実によれば、右の承諾がないことを理由に原告が被告らに対して本件土地の明渡を求めることは、信義誠実の原則に反するものであり、権利の濫用にあたるものというべきである。
その理由は次のとおりである。
1 被告伊藤らの行動には何ら背信性がない。
すなわち、被告伊藤らは相当額の名義書換料を提供し、賃料額も増額する旨の提案をしており、誠実に原告との交渉を続けていたものである。被告伊藤らは、競売事件の評価書による名義書換料の金額を基準にして名義書換料を定めることを希望していたことは前記認定のとおりであるが、被告伊藤らがこの金額が適正であると考えたのは、それが裁判所の手続において評価された金額なのであるから、当然のことであって、何ら不当なことではない。しかも被告伊藤らは、この金額にあくまでも拘泥していたものではなく、原告の提示額に歩み寄る努力も示しており、妥協をする意向もなかった訳ではない。
これに対して原告は、不動産鑑定士に鑑定評価を依頼しながら、合理的根拠もないのにその鑑定評価額を上回る金額を提示しており、その交渉に臨む態度は誠意に乏しいものであったといわざるをえない(証人甲野太郎は、不動産鑑定士は公平な立場で鑑定するのが建前であるが、高い評価は禁止されているから、鑑定評価額の一割増しが相当であると考えたと証言している。しかし、このような考え方は根拠のないものであり、当を得ないものである。)。
2 前記認定の事実によれば、原告が昭和六一年五月二九日に至って被告伊藤らに対して賃借権の譲渡を承諾しない旨の通告をしたのは、被告伊藤らが賃料額を一方的に定めて供託したとして、これは事を円満に解決する意思がない現れであると考えたからであるというのである(本件訴訟においても同旨の主張をしている。)。
しかし、賃借権譲渡の承諾についての交渉が数か月に及び、その間被告伊藤らは全く賃料を支払っていないのであるから、被告伊藤らが不安を感じ、賃料だけでも支払っておこうと考えたとしても、何ら不信行為というような事柄ではないし、これが被告伊藤らに事を円満に解決する意思がないことの現れであるなどといえる筋合いのものでもない。
《証拠省略》によれば、本件土地の賃貸借契約には、賃借人が借賃の支払を怠ったときは賃貸人は何らの通知催告を要せず、直ちに賃貸借契約を解除することができる旨の特約があることが認められるのであって、被告伊藤らが賃料だけでも支払っておいた方が良いと考えたのは、この点からしても当然であろう。そして、弁済提供し、供託した金額も決して一方的な金額ではなく、原告が依頼した鑑定の評価額によっているのである。被告伊藤らが賃料を供託したことについての原告の見方は、言い掛りというほかはない。
原告には、被告伊藤らとの間の交渉を打切る正当な理由は全くなかったものである。
3 被告伊藤らが借地法に基づく賃借権譲渡許可の申立を法定の期間内にしなかったことは前記認定のとおりであるが、その主たる理由は原告との間の信義を重んじたがためであり、これを強く非難することはできない。
原告にも、右申立の機会を失わせようという意図があった訳ではないが、名義書換料等の金額についての鑑定を依頼し、これを基礎にして話合いをしようと述べていたのであるから、被告伊藤らに、右許可申立の手続によらなくとも、任意の話合いによって解決するであろうとの期待感を抱かせたことは否定できないのであって、このような期待感を与えたことによって結果的には右申立の機会が失われたものである。
4 本件建物を収去せざるをえないとすれば、被告らは莫大な損害を被ることになる。七五〇〇万円で競落した本件建物の所有権及び本件土地についての賃借権を失うことになるのである。
被告伊藤らとしては、借地法一〇条所定の建物買取請求権を行使することはできるであろうが、その場合の建物の時価にはいわゆる借地権の価格は含まれないとされているから、被告伊藤らはなお相当額の損害を被ることは明らかである(《証拠省略》によれば、本件建物の競売事件の評価書は、本件建物自体の価額は一二七万円、借地権価額は八九三一万円と評価していることが認められる。)。
逆に原告はたまたま所有土地上の建物の競売がされたことによって巨額の利益を手中に納めることになるのである。
5 被告伊藤らが、名義書換料についての交渉が妥結するかどうか分からなかったのに、念のために譲渡許可の申立をしておかなかったのは、落度といえば確かに落度であろう。そして、法律によって認められた制度を利用しない者は、それによって不利益を被ってもやむをえないとするのも一つの考え方である。
しかし、原告は適正な名義書換料の支払を受ければ足りるのであって、たまたま本件建物の競売に伴って本件土地賃借権の譲渡がされたからといってそれ以上の利益を与える必要性はない。これに対し、被告らの受ける損害は余りに大きいものである。前記の落度があるからこの不利益も受忍すべきであるというのは、被告らに酷なものといわなければならない。
6 結局のところ原告の本訴請求は、被告伊藤らが賃料の供託をしたことをとらえて事を円満に解決する意思がないと一方的に決めつけて名義書換料についての交渉を打切った上で、被告伊藤らが借地非訟の申立を期限内にしなかったという落度を奇貨として、これに乗じて巨額の利益を取得しようというものであって、信義誠実の原則に反し、権利の濫用であるといわざるをえない。
7 なお、賃借権の無断譲渡を理由とする賃借権譲受人に対する明渡請求が信義則違反ないし権利濫用として許されない場合には、その反射的効果として、右譲受人は賃借権の譲受けをもって賃貸人に対抗できるものと解すべきである。
しかし、その結果賃借権譲受人が名義書換料及び賃料を支払わなくとも良いということにはならないことは当然であって、被告伊藤らは原告と誠実に交渉して、これらの点について合意が成立するように努力すべきものである。もしも被告伊藤らが従前の態度を翻して、誠意をもって交渉せず、あるいは適正な名義書換料等の支払に応じないというのであれば、その時点においては、原告の本件土地明渡の請求は信義則違反、権利濫用にあたるとはいえなくなる。したがって、原告の本訴請求が認容されないとすれば、被告らは名義書換料も賃料も支払わずに本件土地の占有を継続できることになり、極めて不公平な結果になるとする原告の非難は失当である。
五 よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 矢崎秀一)
<以下省略>